短大時代のアルバイト体験から社会人になっての就職・転職・アルバイトなどを気ままに語るブログです。先行ブログ「某ファミレス社員の独り言」もよろしくお願いします。
2025年8月12日火曜日
ひさしぶりに投稿します。
大阪関西万博に行ってきました。パビリオンの一つ、「いのちの未来」に入れましてアンドロイドを見てきました。画像の「マツコデラックス」のアンドロイドもあり、ホンモノみたいな作りでした。何十年後かには人間とアンドロイドの共存する
世界が生まれているんでしょうか。
2023年6月22日木曜日
京都みやこ信用金庫での仕事 その6
2022年9月20日火曜日
京都みやこ信用金庫での仕事 その5
研修中におそらく講師で来てた他店の先輩行員が作られた営業資料だったと思います。渉外活動で自分という人間をわかってもらうために1枚目は名前、プロフィール、親しみやすい自分の絵を書いてますね。2枚目も営業に伺ったが不在で会えなくて残念という気持ちを言葉だけでなく自分の絵で表現してます。いきなり営業で伺ってもなかなかお話は聞いてもらえませんので、まずは話の取っ掛かりで自分のアピールポイントが書かれた資料を見せながら話しをしていくためにいいということでした。不在時にも資料を入れておくことにより、相手も資料を見て、この人はどんな人だろうと少しでも興味を持ってくれるかも知れませんので、次回また営業に言ったとき、まずは前回のプロフィール資料見ましたかとそこから話を始めることもできるのでいいと行ってました。それにしてもイラストがなかなかうまいですね。私も研修中に同じような研修資料作りましたが、うまく作れていたかなあ・・・。もう資料としては探したのですが残っておりませんでした。恥ずかしいからすぐ捨てたか営業研修中にすべて配り終えたか・・・。
2022年5月27日金曜日
新型カードローンのお話(京都みやこ信用カード)
最初の文にはこう書いています。
近畿しんきんクレジットサービス(株)の保証により、当座貸越専用口座を開設するとともに、お客様に「京都みやこ信用カード(定額返済型カードローン兼用)(ダブルストライプ方式)」を交付し、次のような仕組でローンを行う。
この後はATMからカードを利用して貸付極度(20万~200万円お客様による)まで自由に借入出来ることや返済方法が書かれています。カードローンにも名前があって20万と30万がミニカードローン、50万がワイド、100万、200万がゴールド。毎月の返済金が5000円から200万のゴールドカードローンは4万円の返済金になるとのこと。で、金利なんですが、200万が13%(10.5%プラス保証料2.5%)、一番高い20万で13.5%です。
融資対象者は主に以下のように書かれています。
〇申込時の年齢が満20歳以上65歳未満の者
〇安定継続した収入を得ている者(パート・バイト不可)で給与所得者は250万円以上、自営業者は120万円以上の前年度年収のある者
〇自宅に電話があり容易に連絡がとれる者
〇居住年数が一年以上の者
〇個人信用情報センター3機関で事故情報のない優良市民
〇近畿カードが保証した者
極度額の設定は年収によって制限されています。
(例)
年収300万円未満→年収の25%以内
なお極度額20万、30万の場合、独自のスコアリングシステムによる得点は不要、所得確認も本人のウソ申告でも?可
50万、100万、200万の場合はそれぞれスコアリングをした得点がそれぞれ25点、30点、40点以上でなければならず、所得証明も源泉徴収票など必要
スコアリングには項目と配点があります。配点は取引年数項目が0点から2点、定期預金残高かつ取引項目の数により3点から最大20点になります。
他にカーライフプラン、DHC保証付住宅ローンなどの商品説明を受け例を上げて貸し付けできるかの勉強をしてましたね。
資料を整理してましたら京都みやこ信用金庫の部署一覧が出てきました
本社というか本店は旧伏見信用金庫の本店があった「京都市伏見区深草西浦町」になっています。今はご存知の方もいると思いますが、龍谷大学のキャンパスの一部に使用されておりますね。もっともそんな建物だったことは大学の資料みたいなものを調べないとわからないでしょうが。案内版みたいなものが掲げられてるのかなあ。旧西陣信用金庫の建物なんて残っているのかなあ。
2021年7月28日水曜日
京都みやこ信用金庫での仕事 その4
過去の資料を探してましたら得意先研修で使用していた名刺が出てきました。裏に京都みやこ信用金庫のシンボルマークとカラーの由来について書いてますね。それにしても、今さら思ったのですが、私の名前が印字出来ていないのが混じってたのと「シンボルマークとカラーの由来について」の印字が出来ていない名刺が入っていました。なんていい加減な印刷屋なんでしょうかね。それはともかく「特別推進班」という名の元、長岡京市調子2丁目4-31にあった「京都みやこ信用金庫 南長岡支店」と京都市山科区音羽野田町15-2にあった「京都みやこ信用金庫 音羽支店」へ研修と実践をかねて行くことになりました。それに先立ち、自分の名刺代わりのチラシ作りと新規顧客獲得のための資料作りをすることになります。残念ながら名刺代わりに作ったチラシは見つかっておりませんが、どういったものかというと、A4サイズの紙に自分の紹介文を自分の人文画とともに書きまして、名刺とは別にそれも訪問したお客さんに渡して自分というものをアピールしようするためのチラシであります。これを見ることによって少しでも自分をいう人間がどういったものか少しは分かってもらえる効果があり少しは警戒心が薄れるだろうとのことであります。続いての資料作りでありますがこの続きは次回で。
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2020年2月24日月曜日
京都みやこ信用金庫での仕事 その3
久しぶりになりますが、書いていきます。1994年(平成6年)4月~9月と約半年もの間、合併会社京都みやこ信用金庫での得意先係研修でありますが、今考えると、こんなに長く研修期間があったことにちょっと驚きましたね。今の時代、新人社員でもないすでに曲がりなりにも旧西陣信用金庫で内勤の仕事ですが、出納係、融資係を経験してきて、預金獲得にしても夏のボーナスや冬のボーナス時期にはチームを組んで、時には一人で祇園界隈を訪問して預金獲得にも出かけていたような人間に改めてこんな長期の研修を設けることはないんじゃないでしょうか。あって2か月くらいじゃないでしょうか。その時代はまだバブルが弾けかかっているがまだ会社にも教育に余裕があったのかも知れませんね。さて、この半年ですが、本社と営業店を行き来しながら得意先係になるための研修が始まりますが、内容な思い出せる範囲と資料を探し出して書いていこうと思います。ではまた。
2019年6月25日火曜日
京都みやこ信用金庫での仕事 その2
さて、辞令というものなんですが、人事部配属。それも得意先係に配属されるための支店や本店での得意先研修を受講するためでした。平成6年4月~平成6年9月までの半年間の人事部配属になりました。この期間は本店での座学の研修から支店でのエリアを与えられての預金獲得訪問などしました。今考えると、あぶれた西陣信用金庫社員を使いものになるかはともかく何でもかんでも得意先係をやらせてみてダメなら辞めさせようという考えがあったんじゃないかと思っています。私もせっかく仕事に役立つと思い会社が開催した融資担当者用の「事業先トライアルコース」を受講する手はずになっていたにもかかわらず、突然の「得意先係配属のための研修」を受けるための人事部異動に大分不満がありましたが、そこは表向き対等合併とはいえ、規模の大きな旧伏見信用金庫側の方針には逆らえず、平成6年4月より京都みやこ信用金庫 祇園支店より京都みやこ信用金庫 人事部付けになり、得意先係研修を受けることとなりました。それではまた。
2019年4月10日水曜日
京都みやこ信用金庫での仕事 その1
久しぶりに更新するとともに「京都みやこ信用金庫での仕事」としまして新たに記述を続けていきます。20年ほど前に書いた職務経歴書が見つかりましたので、それを参考にしながら書きますが、平成5年(1993年)11月1日 伏見信用金庫と合併しまして京都みやこ信用金庫が誕生したわけですが、それとほぼ同じくして私の仕事も出納係から融資係に変わりました。そして祇園支店で仕事をしながら旧伏見信用金庫の融資オペレーションを山科支店で1か月ほどですかね、研修を受けましてそれ以降の数か月は手形貸し付けやカードローンの受付、簡単な融資判断などをやっていました。そんな中、年明け平成6年(1994年)4月より「事業先トライアルコース」受講の案内が来まして、これを受講することによりしばらくは融資係として業務を遂行していくものだと思っていました。受講者一覧を見ますと16名いた中で支店長代理が3名、係長が6名いまして、融資担当として各支店の一線で働く人ばかりでその中の一人に私も入ったわけであります。土曜日を利用して合計10回の講座でありましたが、本物の融資先の事例を取り上げたり、ためになることが多かった記憶があります。全部出席したかどうか定かではありませんが。というのは受講が決まった数日後に突然の辞令が出たのであります。いまだにこの辞令の真意はわかりませんが・・・・・。それではまた。
2018年8月31日金曜日
西陣信用金庫での仕事 その21
昔の資料で合併して出来た「京都みやこ信用金庫」の事業金融部が作成したタイトル「融資定型業務のマニュアル」なるものが出てきましたので、全部は書ききれませんが(また見ても今はすべてわからないので)さわりの部分だけでも書いてみようと思います。最初に書かれていることは「融資申し込みから申請書作成までの流れ」が書かれていました。まず、融資を受けたいとの申し出があり、担当者が受付をします。どういった融資なのか、カードローンなのか車購入資金の借り入れなのか、家の建て替えなのか、会社の運転資金なのかなどの内容を担当者が聞き、それを「融資連絡メモ」として作成します。で、こういった融資の申し込みがあったことをすぐ上の上司、私では係長へ回覧として見てもらい支店長の諾否へ行きます。この時点では申し込みの受付をしたということだけで、もっと厳しい場合だと申し込み受付すら認めませんということもあります。極端に言いますといかにも反社会勢力の方や見た目ですぐわかる「ルンペン(乞食)」は受付すらできないのはわかると思います。そして支店長より「YES」か「NO」の判断をいただいて「YES」であれば連絡をして「融資申込書」を書いてもらい「必要書類」をそろえて提出していただくことになり、「NO」であれば融資お断りの連絡をすることになります。そして提出された「融資申込書」と「必要書類」をもとに受付担当者が「融資申請書」を作成しましてあとは上司、支店長、はては本部の決済へと流れていきます。前にもちらっと書きましたが、合併後、旧伏見信用金庫 本店内に部署としてある、会社に貸し出しをする「事業金融部」、個人に貸し出しをする「個人金融部」とあり本部の承認決済を受けるために稟議書を作成するのですが、送ってもなかなか通らなかったものもありましたねえ。わざわざ私の上司の係長や果てや支店長の次にえらい次長も伏見区にある本社まで夜遅く出向き、書き換えた稟議書をもってなんとか決済をもらおうとしておりました。さて、合併後の融資業務に関しては研修を含めてどんな仕事をしたかという記憶があんまり思い出せないんですよ。そんなときに翌年平成6年3月くらいですかね、融資に関する勉強会、「事業先トライアルコース」なるものが開催されるとの案内が来ました。
2018年5月21日月曜日
西陣信用金庫での仕事 その20
平成5年11月1日、伏見信用金庫と私が働いていました西陣信用金庫が合併しまして「京都みやこ信用金庫」が誕生したわけですが、お店のシステムは規模の大きい伏見信用金庫に合わせるということで、研修という形で私は「京都みやこ信用金庫 音羽支店」に行くことになりました。また機会がありましたら名刺が残っていますので画像にしまして載せようと思いますが、住所地が「京都市山科区音羽野田町15番地の2」です。そこへ合併してすぐ、何か月くらい研修に行ったかはっきり覚えていませんが、幸いにも女性社員に旧伏見信用金庫の融資オペレーションを教えてもらいましたが、やさしく丁寧に教えてもらった記憶があります。と思っていたんですが資料を見ますと研修に行ったお店はどうやら「京都みやこ信用金庫 山科支店」でした。社内報「桃華」に教えてもらった女性社員の方が載っておりこの方に教えてもらったのを思い出しましたので。では一体、「京都みやこ信用金庫 音羽支店」の名刺はなんであるんでしょうか。おそらくその後融資係から得意先係に変わるための研修期間に作った名刺ではないかと思います。また資料を探してみます。

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2017年10月19日木曜日
西陣信用金庫での仕事 その19
2017年10月10日火曜日
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2017年7月25日火曜日
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2017年7月18日火曜日
西陣信用金庫での仕事 その16
上記の画像は実家に帰った時に残っていた西陣信用金庫 祇園支店の私の名刺であります。その枚数、およそ400枚ほど・・・。こんなに残っていたんですねえ。しかも合併後に新たに作った京都みやこ信用金庫の名刺もありました。またそれは機会があれば画像にして載せようと思います。さてさて実家で私の信用金庫時代の本やら資料が出てきました。その中に貴重な西陣信用金庫 職員に向けた伏見信用金庫との合併の経緯や今後のお願いが書かれた案内文が出てきましたので長文になりますが、載せようと思います。
平成5年5月12日 職員の皆さんへ 理事長 藤本 正夫
私達の西陣信用金庫は大正15年に設立され、平成7年には創立70周年を迎える歴史ある信用金庫です。その間私達の多くの先輩も含め、一貫して地域金融機関として地域社会の発展、中小企業の育成、地域住民の生活向上を目指し、それぞれの分野で鋭意努力してまいりました。一方、社会情勢は機械化、国際化、情報化が進むにつれて、お客様のニーズも高度化、多様化し、また、今般の金融制度改革に象徴されるように金融の自由化も最終局面を迎え、業務もさらに幅広くなり、複雑化し、金融機関経営においても多様な対応と合理化、効率化が従来にまして要求される環境となってきました。
又、この度のバブル経済の崩壊後の日本経済は拡大経済から均衡経済へと構造が変革し、従来のような取引の拡大は至難な状況となってまいりました。そのような厳しい環境の中において、今まで以上に地域社会に貢献し、お客様も多様化し、また高度化するニーズに的確に応えていくためには、将来への長期的展望のうえに立ち、新たな視点による経営基盤の強化策が今不可欠な事と判断し、また、将来へ向けて必ずや明るい未来が開けることを確信して、この度平成7年には創立90周年を迎えようとしている伏見信用金庫との合併に踏み切ったのであります。
特に京都においては、従来、私達西陣信用金庫の経営エリアでありました京都市域から学術研究都市の進展とともに南部の開発が進み、経済圏は急速な変貌と広がりを見せております。もとより当金庫も南部への店舗展開を望んでいたのでありますが、本日まで果たせなかったのであります。(前文)
次回(後文)を載せます。
2017年5月3日水曜日
西陣信用金庫での仕事 その15
2017年1月11日水曜日
西陣信用金庫での仕事 その14
2016年12月27日火曜日
西陣信用金庫での仕事 その13
京都府京都市東山区祇園町にある神社、八坂神社。伏見稲荷神社と並ぶ有名な京都の神社であります。西陣信用金庫 祇園支店の最大取引先でもありまして日々お賽銭を入金してもらいに先輩社員がうかがっておりまして私も何度か一緒に伺ったこともありました。その八坂神社で取引先だからということもあり年越しの神社内でのお手伝いという仕事がありました。どんな仕事だというと男性社員は神社内の参拝客の誘導、女性社員は巫女さん姿で社務所でのおみくじや絵馬の販売です。12月31日、早めに仕事を終えまして21時過ぎくらいだったかなあ、八坂神社に向かいましてメガホンを持たされ、参拝客がたくさん通るところに立たされまして決まった文言を何回も繰り返し呼びかけてました。どんな文言だったかはっきり覚えていませんが「足元に注意してゆっくり境内に向かってください」みたいなことを言ってたと思います。途中休憩をとるためお賽銭が投げ入れられる本殿のところを通りましたが足元を見るとお金がところどころ落ちてるんですよね。お金を投げ入れるのが届かなくて地面に落ちてるんです。もちろん拾ったらバチが当たりそうだから拾うことはしませんが。その休憩中に年越しソバを神社のほうからいただきました。年が明けて朝方、ようやく仕事から解放されまして自宅に戻りました。ちなみに仕事料として1万円いただきましたかね。さて、年が明けまして私の仕事なんですが八坂神社内での仕事が待っているのです。もうお分かりかと思いますが「お賽銭勘定」であります。この続きは年明けに。それではよいお年を。私も1月1日、仕事が終わったら久しぶりに八坂神社に行こうかな。
2016年11月27日日曜日
西陣信用金庫での仕事 その12
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