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2025年8月12日火曜日

お試し

スーパーセクシーアイドル「紗倉まな」

ひさしぶりに投稿します。

大阪関西万博に行ってきました。パビリオンの一つ、「いのちの未来」に入れましてアンドロイドを見てきました。画像の「マツコデラックス」のアンドロイドもあり、ホンモノみたいな作りでした。何十年後かには人間とアンドロイドの共存する 世界が生まれているんでしょうか。

2023年6月22日木曜日

京都みやこ信用金庫での仕事 その6

定期積金とは・・・〇お金をためるための商品です 〇 庶民の金融機関、信用金庫の扱う商品です。 〇 責任をもって集金に伺う集金サービス付きの商品です。 〇 結婚・住宅・教育資金など将来の生活設計資金の準備に最適な商品です。 商品紹介をするために資料を作ったり、結婚資金にいくら、四年制大学に入学するときに必要な入学金、授業料などを調べて資料を作ったりしてファイルを作ってました。そしてそれを持参して研修店舗にてエリアを決めて預金獲得の勧誘活動に出かけてました。確か数件預金獲得出来たと思います。定期預金みたいに何十万も急にはお金を出せない人は多いですが、定期積金では数千円から積立出来るのでおすすめもしやすかったかもしれませんね。それにしても水着姿の女性、若き「菊池麻衣子」さんですよ。知ってる人いるかなあ。

2022年9月20日火曜日

京都みやこ信用金庫での仕事 その5

研修中におそらく講師で来てた他店の先輩行員が作られた営業資料だったと思います。渉外活動で自分という人間をわかってもらうために1枚目は名前、プロフィール、親しみやすい自分の絵を書いてますね。2枚目も営業に伺ったが不在で会えなくて残念という気持ちを言葉だけでなく自分の絵で表現してます。いきなり営業で伺ってもなかなかお話は聞いてもらえませんので、まずは話の取っ掛かりで自分のアピールポイントが書かれた資料を見せながら話しをしていくためにいいということでした。不在時にも資料を入れておくことにより、相手も資料を見て、この人はどんな人だろうと少しでも興味を持ってくれるかも知れませんので、次回また営業に言ったとき、まずは前回のプロフィール資料見ましたかとそこから話を始めることもできるのでいいと行ってました。それにしてもイラストがなかなかうまいですね。私も研修中に同じような研修資料作りましたが、うまく作れていたかなあ・・・。もう資料としては探したのですが残っておりませんでした。恥ずかしいからすぐ捨てたか営業研修中にすべて配り終えたか・・・。

2022年5月27日金曜日

新型カードローンのお話(京都みやこ信用カード)

最初の文にはこう書いています。 近畿しんきんクレジットサービス(株)の保証により、当座貸越専用口座を開設するとともに、お客様に「京都みやこ信用カード(定額返済型カードローン兼用)(ダブルストライプ方式)」を交付し、次のような仕組でローンを行う。 この後はATMからカードを利用して貸付極度(20万~200万円お客様による)まで自由に借入出来ることや返済方法が書かれています。カードローンにも名前があって20万と30万がミニカードローン、50万がワイド、100万、200万がゴールド。毎月の返済金が5000円から200万のゴールドカードローンは4万円の返済金になるとのこと。で、金利なんですが、200万が13%(10.5%プラス保証料2.5%)、一番高い20万で13.5%です。 融資対象者は主に以下のように書かれています。 〇申込時の年齢が満20歳以上65歳未満の者 〇安定継続した収入を得ている者(パート・バイト不可)で給与所得者は250万円以上、自営業者は120万円以上の前年度年収のある者 〇自宅に電話があり容易に連絡がとれる者 〇居住年数が一年以上の者 〇個人信用情報センター3機関で事故情報のない優良市民 〇近畿カードが保証した者 極度額の設定は年収によって制限されています。 (例) 年収300万円未満→年収の25%以内 なお極度額20万、30万の場合、独自のスコアリングシステムによる得点は不要、所得確認も本人のウソ申告でも?可 50万、100万、200万の場合はそれぞれスコアリングをした得点がそれぞれ25点、30点、40点以上でなければならず、所得証明も源泉徴収票など必要 スコアリングには項目と配点があります。配点は取引年数項目が0点から2点、定期預金残高かつ取引項目の数により3点から最大20点になります。 他にカーライフプラン、DHC保証付住宅ローンなどの商品説明を受け例を上げて貸し付けできるかの勉強をしてましたね。

資料を整理してましたら京都みやこ信用金庫の部署一覧が出てきました

本社というか本店は旧伏見信用金庫の本店があった「京都市伏見区深草西浦町」になっています。今はご存知の方もいると思いますが、龍谷大学のキャンパスの一部に使用されておりますね。もっともそんな建物だったことは大学の資料みたいなものを調べないとわからないでしょうが。案内版みたいなものが掲げられてるのかなあ。旧西陣信用金庫の建物なんて残っているのかなあ。

2021年7月28日水曜日

京都みやこ信用金庫での仕事 その4

過去の資料を探してましたら得意先研修で使用していた名刺が出てきました。裏に京都みやこ信用金庫のシンボルマークとカラーの由来について書いてますね。それにしても、今さら思ったのですが、私の名前が印字出来ていないのが混じってたのと「シンボルマークとカラーの由来について」の印字が出来ていない名刺が入っていました。なんていい加減な印刷屋なんでしょうかね。それはともかく「特別推進班」という名の元、長岡京市調子2丁目4-31にあった「京都みやこ信用金庫 南長岡支店」と京都市山科区音羽野田町15-2にあった「京都みやこ信用金庫 音羽支店」へ研修と実践をかねて行くことになりました。それに先立ち、自分の名刺代わりのチラシ作りと新規顧客獲得のための資料作りをすることになります。残念ながら名刺代わりに作ったチラシは見つかっておりませんが、どういったものかというと、A4サイズの紙に自分の紹介文を自分の人文画とともに書きまして、名刺とは別にそれも訪問したお客さんに渡して自分というものをアピールしようするためのチラシであります。これを見ることによって少しでも自分をいう人間がどういったものか少しは分かってもらえる効果があり少しは警戒心が薄れるだろうとのことであります。続いての資料作りでありますがこの続きは次回で。 script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-8170954752457120" crossorigin="anonymous">

2020年2月24日月曜日

京都みやこ信用金庫での仕事 その3

久しぶりになりますが、書いていきます。1994年(平成6年)4月~9月と約半年もの間、合併会社京都みやこ信用金庫での得意先係研修でありますが、今考えると、こんなに長く研修期間があったことにちょっと驚きましたね。今の時代、新人社員でもないすでに曲がりなりにも旧西陣信用金庫で内勤の仕事ですが、出納係、融資係を経験してきて、預金獲得にしても夏のボーナスや冬のボーナス時期にはチームを組んで、時には一人で祇園界隈を訪問して預金獲得にも出かけていたような人間に改めてこんな長期の研修を設けることはないんじゃないでしょうか。あって2か月くらいじゃないでしょうか。その時代はまだバブルが弾けかかっているがまだ会社にも教育に余裕があったのかも知れませんね。さて、この半年ですが、本社と営業店を行き来しながら得意先係になるための研修が始まりますが、内容な思い出せる範囲と資料を探し出して書いていこうと思います。ではまた。

2019年6月25日火曜日

京都みやこ信用金庫での仕事 その2

さて、辞令というものなんですが、人事部配属。それも得意先係に配属されるための支店や本店での得意先研修を受講するためでした。平成6年4月~平成6年9月までの半年間の人事部配属になりました。この期間は本店での座学の研修から支店でのエリアを与えられての預金獲得訪問などしました。今考えると、あぶれた西陣信用金庫社員を使いものになるかはともかく何でもかんでも得意先係をやらせてみてダメなら辞めさせようという考えがあったんじゃないかと思っています。私もせっかく仕事に役立つと思い会社が開催した融資担当者用の「事業先トライアルコース」を受講する手はずになっていたにもかかわらず、突然の「得意先係配属のための研修」を受けるための人事部異動に大分不満がありましたが、そこは表向き対等合併とはいえ、規模の大きな旧伏見信用金庫側の方針には逆らえず、平成6年4月より京都みやこ信用金庫 祇園支店より京都みやこ信用金庫 人事部付けになり、得意先係研修を受けることとなりました。それではまた。

2019年4月10日水曜日

京都みやこ信用金庫での仕事 その1

久しぶりに更新するとともに「京都みやこ信用金庫での仕事」としまして新たに記述を続けていきます。20年ほど前に書いた職務経歴書が見つかりましたので、それを参考にしながら書きますが、平成5年(1993年)11月1日 伏見信用金庫と合併しまして京都みやこ信用金庫が誕生したわけですが、それとほぼ同じくして私の仕事も出納係から融資係に変わりました。そして祇園支店で仕事をしながら旧伏見信用金庫の融資オペレーションを山科支店で1か月ほどですかね、研修を受けましてそれ以降の数か月は手形貸し付けやカードローンの受付、簡単な融資判断などをやっていました。そんな中、年明け平成6年(1994年)4月より「事業先トライアルコース」受講の案内が来まして、これを受講することによりしばらくは融資係として業務を遂行していくものだと思っていました。受講者一覧を見ますと16名いた中で支店長代理が3名、係長が6名いまして、融資担当として各支店の一線で働く人ばかりでその中の一人に私も入ったわけであります。土曜日を利用して合計10回の講座でありましたが、本物の融資先の事例を取り上げたり、ためになることが多かった記憶があります。全部出席したかどうか定かではありませんが。というのは受講が決まった数日後に突然の辞令が出たのであります。いまだにこの辞令の真意はわかりませんが・・・・・。それではまた。

2018年8月31日金曜日

西陣信用金庫での仕事 その21

昔の資料で合併して出来た「京都みやこ信用金庫」の事業金融部が作成したタイトル「融資定型業務のマニュアル」なるものが出てきましたので、全部は書ききれませんが(また見ても今はすべてわからないので)さわりの部分だけでも書いてみようと思います。最初に書かれていることは「融資申し込みから申請書作成までの流れ」が書かれていました。まず、融資を受けたいとの申し出があり、担当者が受付をします。どういった融資なのか、カードローンなのか車購入資金の借り入れなのか、家の建て替えなのか、会社の運転資金なのかなどの内容を担当者が聞き、それを「融資連絡メモ」として作成します。で、こういった融資の申し込みがあったことをすぐ上の上司、私では係長へ回覧として見てもらい支店長の諾否へ行きます。この時点では申し込みの受付をしたということだけで、もっと厳しい場合だと申し込み受付すら認めませんということもあります。極端に言いますといかにも反社会勢力の方や見た目ですぐわかる「ルンペン(乞食)」は受付すらできないのはわかると思います。そして支店長より「YES」か「NO」の判断をいただいて「YES」であれば連絡をして「融資申込書」を書いてもらい「必要書類」をそろえて提出していただくことになり、「NO」であれば融資お断りの連絡をすることになります。そして提出された「融資申込書」と「必要書類」をもとに受付担当者が「融資申請書」を作成しましてあとは上司、支店長、はては本部の決済へと流れていきます。前にもちらっと書きましたが、合併後、旧伏見信用金庫 本店内に部署としてある、会社に貸し出しをする「事業金融部」、個人に貸し出しをする「個人金融部」とあり本部の承認決済を受けるために稟議書を作成するのですが、送ってもなかなか通らなかったものもありましたねえ。わざわざ私の上司の係長や果てや支店長の次にえらい次長も伏見区にある本社まで夜遅く出向き、書き換えた稟議書をもってなんとか決済をもらおうとしておりました。さて、合併後の融資業務に関しては研修を含めてどんな仕事をしたかという記憶があんまり思い出せないんですよ。そんなときに翌年平成6年3月くらいですかね、融資に関する勉強会、「事業先トライアルコース」なるものが開催されるとの案内が来ました。

2018年5月21日月曜日

西陣信用金庫での仕事 その20

平成5年11月1日、伏見信用金庫と私が働いていました西陣信用金庫が合併しまして「京都みやこ信用金庫」が誕生したわけですが、お店のシステムは規模の大きい伏見信用金庫に合わせるということで、研修という形で私は「京都みやこ信用金庫 音羽支店」に行くことになりました。また機会がありましたら名刺が残っていますので画像にしまして載せようと思いますが、住所地が「京都市山科区音羽野田町15番地の2」です。そこへ合併してすぐ、何か月くらい研修に行ったかはっきり覚えていませんが、幸いにも女性社員に旧伏見信用金庫の融資オペレーションを教えてもらいましたが、やさしく丁寧に教えてもらった記憶があります。と思っていたんですが資料を見ますと研修に行ったお店はどうやら「京都みやこ信用金庫 山科支店」でした。社内報「桃華」に教えてもらった女性社員の方が載っておりこの方に教えてもらったのを思い出しましたので。では一体、「京都みやこ信用金庫 音羽支店」の名刺はなんであるんでしょうか。おそらくその後融資係から得意先係に変わるための研修期間に作った名刺ではないかと思います。また資料を探してみます。
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2017年10月19日木曜日

西陣信用金庫での仕事 その19

上記の画像は1993年(平成5年)11月に西陣信用金庫と合併する伏見信用金庫の社内報、桃華であります。合併に関する経緯や西陣信用金庫、伏見信用金庫両理事長のインタビュー記事、両金庫職員の合併に関する抱負、新金庫名 京都みやこ信用金庫の経営理念、シンボルマーク、キャッチフレーズのことなどが書かれております。この社内報を通じて合併するということを理解することになるのですが、さて、合併をして以降、どうも西陣信用金庫時代のような雰囲気がなくなっていくような感じを受けるようになりました。どちらかというと西陣信用金庫はアットホームな感じでそれほどあくせく仕事をしていた感じはなかったのですが合併を機に何というかピリピリして仕事をするように雰囲気が変わりました。人事教育部という部署にいた女性課長も合併してお話をする機会があって言われたことは西陣信用金庫時代とは180度考えを変えて仕事に取り組んでくださいみたいなことを言われたのを覚えています。そのいわんことはわれわれが今まで西陣信用金庫で行ってきた仕事のやり方ではなく伏見信用金庫のやり方、言われるやり方で仕事をしなさいということです。形式的には対等合併でありながら実際は西陣信用金庫を救済合併するような感じだったようで、合併後、これを機に辞めた旧西陣信用金庫の理事を退職金泥棒呼ばわりする旧伏見信用金庫職員もいました。融資の稟議を上げても担保割れが多かったせいもありますが、なかなか決済が下りないことも多く、私の上司の係長が何度も稟議書を書き直して、直に京都伏見区深草にある京都みやこ信用金庫 本店 融資審査部へ足を運んでいましたね。因みに京都みやこ信用金庫 本店なんですが建物は現在、龍谷大学の校舎(紫学館だったかな)になっております。さて、私はというと合併する前に支店で使っているコンピュータが旧伏見信用金庫のものに変わるということで京都みやこ信用金庫の音羽支店へオペレーション研修にいくことになりました。この辺の話は次回までに資料を探しておきます。ではまた。

2017年10月10日火曜日

西陣信用金庫での仕事 その18

わが西陣信用金庫と伏見信用金庫の合併が正式に発表される平成5年(1993年)5月12日以前に私のいた祇園支店でも支店長が異動により代わったり新入社員が2名入ってきたりしました。新入社員の男の子が私がしてました出納係になったことに伴い、融資係に異動になりました。画像の名刺は融資係として仕事をしていた時の京都みやこ信用金庫の名刺であります。融資係の仕事と申しましてもしたこととして思い出すことは、カードローンの受付、書類に不備がないかをチェックし、本社へ送ったり審査機関へ送ったり、手形貸し付けの期限延長のための土地担保評価をして稟議を上げたりしてました。ただ、付随業務として外貨両替もやっていたわけですが私が英語を話せなく、上司の係長も苦手だったため、私の同期の女性社員が外貨両替に来られたお客さんの相手をしてもらっていましたね。さて、上司の融資係長には仕事だけでなくちょこちょく飲みにも連れて行ってもらってお世話になりました。そういえばボーリングにも何度か一緒に行きまして私が一度でも勝つまで何ゲームでも付き合ってくれたっけ。お酒も強いし、ボーリングも強いし、私が京都のデルタ自動車教習所に通っているあいだ、仕事を切り上げて早めに帰らせてくれたんです。いい上司でありました。信用金庫を辞められて地元三重県に帰られて再就職されましたがその後どうされているんでしょうか。この頃は水面下で合併に向けて話が進んでいたにもかかわらず、取り立てて今後どうなるとか深く考えることはあまりなかったように思います。合併する前ですが仕事もプライベートもまずまず充実してましたから。それではまた。

2017年7月25日火曜日

西陣信用金庫での仕事 その17

では、西陣信用金庫と伏見信用金庫との合併に至る理事長 藤本 正夫 の職員向け配布物の続きを載せます。 以上のような趣旨から、今回の合併は単なる経済規模の拡大にとどまらず、京都北部の基盤が強固な西陣信用金庫と南部での基盤が充実している伏見信用金庫が統合し、発展、広域化する地元経済社会のニーズに応えるとともに効率的な店舗ネットワークの形成を目指したものであります。 お客様やそれぞれの金庫にとってのメリットは、両金庫併せて75カ店と一段と拡大すること。そして、店舗網が南北、全市的に分布し、また、お取引の重複も比較的少ない現状などにより、店舗ネットワークの充実は、お客様の利便を飛躍的に向上出来ると考えられます。 そして、スケールメリットおよび店舗ネットワークの充実による生産性の向上によって金融自由化、多様化に対する経営体質の強化が図れ、結果として地域社会の社会的、文化的、健康的活動などの支援も充実することができます。 合併の方法については対等合併(こう明言されているにもかかわらず現場の実情は疑問符が付きます。それは今後の展開で)とし、新しく発足する金庫の名称も一新されます。(名称については、これから両金庫で相談して決定する。) 両金庫の全役職員が新しく発足する金庫の中で「地域貢献」の旗印のもとで共に胸を張って出発していきたいと決断しました。 新しい金庫は平成5年10月1日の発足へ向かって、両金庫の役職員によって編成される各分野ごとの委員会において、具体的な取り決め事を決定していくことになりますが、役職員の将来の処遇等ついても、最大限の努力を続けていきます。今回の新しいスタートは、将来に向かって必ずや職員全員の皆さんのためのものだと信じて今回の合併を理解してほしいと思います。 なお、役職員の皆さん全員の最大限の力量を発揮し、新しい金庫の成長と地域社会への貢献を目指して出発するに際して全面的な協力をお願いする次第です。 以上 〇 合併への背景 1➡バブル経済崩壊後の日本経済の構造的変革。(拡大経済から均衡経済へ) 2➡スケールメリットによる効率化、合理化の推進、経営基盤の強化による顧客に対するサービスの向上。(地域) 3➡金融制度改革による一層多様化する顧客の新しいニーズへの対応。 4➡機械化の推進、革新による機械化投資の増大。 5➡京都の市街化中心の取引エリアから広域展開へ。(特に発展する南部へ) 記憶上では合併のうわさがささやかれ始めて夏ごろに文書で合併の内容を知ったように覚えていましたが5月の中頃には合併にいたる文書をもらっていたんですねえ。その時期は私も新しい仕事として出納係から融資係へ異動しておりまして仕事を覚える毎日でしたし、土日の休みは車の運転免許を取得するため京都の阪急西院駅から歩いていくとある「デルタ自動車教習所」へ通っていましたから。合併をするということに関してはあんまり深くは考えていなかったように感じます。西陣信用金庫に入庫して2年目でしたから。やがて合併後、新金庫になってから社風ががらりと変わって仕事がうまくいかなくなっていくことになります。

2017年7月18日火曜日

西陣信用金庫での仕事 その16

上記の画像は実家に帰った時に残っていた西陣信用金庫 祇園支店の私の名刺であります。その枚数、およそ400枚ほど・・・。こんなに残っていたんですねえ。しかも合併後に新たに作った京都みやこ信用金庫の名刺もありました。またそれは機会があれば画像にして載せようと思います。さてさて実家で私の信用金庫時代の本やら資料が出てきました。その中に貴重な西陣信用金庫 職員に向けた伏見信用金庫との合併の経緯や今後のお願いが書かれた案内文が出てきましたので長文になりますが、載せようと思います。 平成5年5月12日  職員の皆さんへ  理事長 藤本 正夫 私達の西陣信用金庫は大正15年に設立され、平成7年には創立70周年を迎える歴史ある信用金庫です。その間私達の多くの先輩も含め、一貫して地域金融機関として地域社会の発展、中小企業の育成、地域住民の生活向上を目指し、それぞれの分野で鋭意努力してまいりました。一方、社会情勢は機械化、国際化、情報化が進むにつれて、お客様のニーズも高度化、多様化し、また、今般の金融制度改革に象徴されるように金融の自由化も最終局面を迎え、業務もさらに幅広くなり、複雑化し、金融機関経営においても多様な対応と合理化、効率化が従来にまして要求される環境となってきました。 又、この度のバブル経済の崩壊後の日本経済は拡大経済から均衡経済へと構造が変革し、従来のような取引の拡大は至難な状況となってまいりました。そのような厳しい環境の中において、今まで以上に地域社会に貢献し、お客様も多様化し、また高度化するニーズに的確に応えていくためには、将来への長期的展望のうえに立ち、新たな視点による経営基盤の強化策が今不可欠な事と判断し、また、将来へ向けて必ずや明るい未来が開けることを確信して、この度平成7年には創立90周年を迎えようとしている伏見信用金庫との合併に踏み切ったのであります。 特に京都においては、従来、私達西陣信用金庫の経営エリアでありました京都市域から学術研究都市の進展とともに南部の開発が進み、経済圏は急速な変貌と広がりを見せております。もとより当金庫も南部への店舗展開を望んでいたのでありますが、本日まで果たせなかったのであります。(前文) 次回(後文)を載せます。

2017年5月3日水曜日

西陣信用金庫での仕事 その15

1993年(平成5年)4月も半ばになりますと新入社員が男女2名、わが祇園支店にも配属になりました。それと同時だったと思いますが支店長も異動になりまして新しい支店長がこられました。私も支店内で係の異動により出納係から融資係に異動になりました。最初のうちはカードローンの受け付けをしてまして記入漏れがないかとか必要書類がそろっているかなどのチェックをしたり手形貸し付けの期限延長のための稟議書類作りなんかやってましたかね。直接の上司になります融資係長にはお世話になりました。仕事終わりにスナックみたいなところに連れて行ってもらいおごっていただいたり帰りのタクシーチケットをいただいたりしました。また、夏ごろから仕事をしながら教習所に通いましたが早めに仕事を切り上げさせてもらって免許を取れるよう気を使ってくれました。おかげ様で自動車免許は時間がかかりましたが何とか免許を取ることは出来ました。もっとも支店では結局一度だけしか車に乗って運転することはしませんでしたが。そんなこんなで仕事にプライベートとそこそこ充実していたんですが夏の終わりぐらいにある噂を聞くようになるのです。それは伏見信用金庫との合併の噂であります。この続きは次回。

2017年1月11日水曜日

西陣信用金庫での仕事 その14


上記の画像は私が社会人になって初めてもらった会社(西陣信用金庫)の名刺であります。もう20年以上前でありますがなんとか残して持っておりました。さて、八坂神社で年越しを迎えまして朝方自宅に帰宅し、3が日はしっかり休みまして4日からお仕事でありましたが、支店に出勤しましてすぐ、先輩社員と一緒に八坂神社へ向かいました。「賽銭開き」であります。で、私と先輩社員だけではなく各支店の同期入社の社員も何人か来ていただいて一緒にお金をまとめ始めました。お札はお札、硬貨は硬貨、その他馬券や外国の硬貨なんかも入ってました。だいたい3日~4日同期社員と一緒に楽しく??お賽銭勘定をしまして今度は一時自分の支店に保管をしまして他の支店に引き取ってもらいにいくつかの支店を車に同乗して回りました。1月の終わりまでは通常の支店での出納係としての仕事に加え、そんな仕事も加わってなかなか忙しい日々でしたね。でも貴重な体験だったと思います。よくテレビなんかで伏見稲荷大社の「賽銭開き」の模様は放送されますが、あんな感じのことをやったわけですからねえ。ちなみに「賽銭開き」の入金金額、どのくらいだと思いますか。まあご想像にお任せいたします。また資料が出てきましたら公表しようと思います。それではまた。

2016年12月27日火曜日

西陣信用金庫での仕事 その13


京都府京都市東山区祇園町にある神社、八坂神社。伏見稲荷神社と並ぶ有名な京都の神社であります。西陣信用金庫 祇園支店の最大取引先でもありまして日々お賽銭を入金してもらいに先輩社員がうかがっておりまして私も何度か一緒に伺ったこともありました。その八坂神社で取引先だからということもあり年越しの神社内でのお手伝いという仕事がありました。どんな仕事だというと男性社員は神社内の参拝客の誘導、女性社員は巫女さん姿で社務所でのおみくじや絵馬の販売です。12月31日、早めに仕事を終えまして21時過ぎくらいだったかなあ、八坂神社に向かいましてメガホンを持たされ、参拝客がたくさん通るところに立たされまして決まった文言を何回も繰り返し呼びかけてました。どんな文言だったかはっきり覚えていませんが「足元に注意してゆっくり境内に向かってください」みたいなことを言ってたと思います。途中休憩をとるためお賽銭が投げ入れられる本殿のところを通りましたが足元を見るとお金がところどころ落ちてるんですよね。お金を投げ入れるのが届かなくて地面に落ちてるんです。もちろん拾ったらバチが当たりそうだから拾うことはしませんが。その休憩中に年越しソバを神社のほうからいただきました。年が明けて朝方、ようやく仕事から解放されまして自宅に戻りました。ちなみに仕事料として1万円いただきましたかね。さて、年が明けまして私の仕事なんですが八坂神社内での仕事が待っているのです。もうお分かりかと思いますが「お賽銭勘定」であります。この続きは年明けに。それではよいお年を。私も1月1日、仕事が終わったら久しぶりに八坂神社に行こうかな。



2016年11月27日日曜日

西陣信用金庫での仕事 その12

  上記写真が信用金庫の社員旅行で撮った支店行員の全員写真であります。いやあ懐かしいです。残念ながらもう20年以上前の写真でありまして誰一人近況を知るものはいませんが。そういえばこの年だけだと思うんですがなんか運動会みたいなものもあったんですよねえ。で、参加記念に携帯シェーバーをもらった記憶があります。(記憶違いで2年目だったかも知れません・・・)結局一度も使わずじまいでしたが。そうこうして日々少しづつでしたが、仕事も覚え、金融知識を身に付けながら入庫して最初の年越しを迎えることになります。年越しを迎えるにあたって西陣信用金庫 祇園支店ならではのお仕事?があったのであります。このつづきは次回。