大阪通天閣

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2017年10月19日木曜日

KANSAI正明の就職転職アルバイト体験談: 西陣信用金庫での仕事 その19

KANSAI正明の就職転職アルバイト体験談: 西陣信用金庫での仕事 その19: 上記の画像は1993年(平成5年)11月に西陣信用金庫と合併する伏見信用金庫の社内報、桃華であります。合併に関する経緯や西陣信用金庫、伏見信用金庫両理事長のインタビュー記事、両金庫職員の合併に関する抱負、新金庫名 京都みやこ信用金庫の経営理念、シンボルマーク、キャッチフレーズ...

西陣信用金庫での仕事 その19

上記の画像は1993年(平成5年)11月に西陣信用金庫と合併する伏見信用金庫の社内報、桃華であります。合併に関する経緯や西陣信用金庫、伏見信用金庫両理事長のインタビュー記事、両金庫職員の合併に関する抱負、新金庫名 京都みやこ信用金庫の経営理念、シンボルマーク、キャッチフレーズのことなどが書かれております。この社内報を通じて合併するということを理解することになるのですが、さて、合併をして以降、どうも西陣信用金庫時代のような雰囲気がなくなっていくような感じを受けるようになりました。どちらかというと西陣信用金庫はアットホームな感じでそれほどあくせく仕事をしていた感じはなかったのですが合併を機に何というかピリピリして仕事をするように雰囲気が変わりました。人事教育部という部署にいた女性課長も合併してお話をする機会があって言われたことは西陣信用金庫時代とは180度考えを変えて仕事に取り組んでくださいみたいなことを言われたのを覚えています。そのいわんことはわれわれが今まで西陣信用金庫で行ってきた仕事のやり方ではなく伏見信用金庫のやり方、言われるやり方で仕事をしなさいということです。形式的には対等合併でありながら実際は西陣信用金庫を救済合併するような感じだったようで、合併後、これを機に辞めた旧西陣信用金庫の理事を退職金泥棒呼ばわりする旧伏見信用金庫職員もいました。融資の稟議を上げても担保割れが多かったせいもありますが、なかなか決済が下りないことも多く、私の上司の係長が何度も稟議書を書き直して、直に京都伏見区深草にある京都みやこ信用金庫 本店 融資審査部へ足を運んでいましたね。因みに京都みやこ信用金庫 本店なんですが建物は現在、龍谷大学の校舎(紫学館だったかな)になっております。さて、私はというと合併する前に支店で使っているコンピュータが旧伏見信用金庫のものに変わるということで京都みやこ信用金庫の音羽支店へオペレーション研修にいくことになりました。この辺の話は次回までに資料を探しておきます。ではまた。

2017年10月10日火曜日

KANSAI正明の就職転職アルバイト体験談: 西陣信用金庫での仕事 その18

KANSAI正明の就職転職アルバイト体験談: 西陣信用金庫での仕事 その18: わが西陣信用金庫と伏見信用金庫の合併が正式に発表される平成5年(1993年)5月12日以前に私のいた祇園支店でも支店長が異動により代わったり新入社員が2名入ってきたりしました。新入社員の男の子が私がしてました出納係になったことに伴い、融資係に異動になりました。画像の名刺は融資...

西陣信用金庫での仕事 その18

わが西陣信用金庫と伏見信用金庫の合併が正式に発表される平成5年(1993年)5月12日以前に私のいた祇園支店でも支店長が異動により代わったり新入社員が2名入ってきたりしました。新入社員の男の子が私がしてました出納係になったことに伴い、融資係に異動になりました。画像の名刺は融資係として仕事をしていた時の京都みやこ信用金庫の名刺であります。融資係の仕事と申しましてもしたこととして思い出すことは、カードローンの受付、書類に不備がないかをチェックし、本社へ送ったり審査機関へ送ったり、手形貸し付けの期限延長のための土地担保評価をして稟議を上げたりしてました。ただ、付随業務として外貨両替もやっていたわけですが私が英語を話せなく、上司の係長も苦手だったため、私の同期の女性社員が外貨両替に来られたお客さんの相手をしてもらっていましたね。さて、上司の融資係長には仕事だけでなくちょこちょく飲みにも連れて行ってもらってお世話になりました。そういえばボーリングにも何度か一緒に行きまして私が一度でも勝つまで何ゲームでも付き合ってくれたっけ。お酒も強いし、ボーリングも強いし、私が京都のデルタ自動車教習所に通っているあいだ、仕事を切り上げて早めに帰らせてくれたんです。いい上司でありました。信用金庫を辞められて地元三重県に帰られて再就職されましたがその後どうされているんでしょうか。この頃は水面下で合併に向けて話が進んでいたにもかかわらず、取り立てて今後どうなるとか深く考えることはあまりなかったように思います。合併する前ですが仕事もプライベートもまずまず充実してましたから。それではまた。